西宮まつりの歩み

西宮神社のみこしが神戸の和田岬に神幸していたことは、平安時代末期の記録に残っています。
その壮麗な御神幸は、往路は幾艘もの船を旗や幕で飾り、海上所狭しと渡御を行い、和田岬の御旅所では時節の花を飾り、舞などを奉納した後、帰路は馬を連ね陸路をその日のうちに帰っていました。これを産宮参り(うぶみやまいり)と呼んでいました。
安土桃山時代以降中絶していた渡御祭は、昭和29年陸渡御が復活、以来40年間続きましたが、阪神大震災により一時中断。
平成12年、当社の震災復興も完了したのを機に、復興の象徴として約400年間途絶えていた海上渡御を復興しようと氏子町内会や西宮中央商店街が中心となって「西宮まつり協議会」を結成、9月21日~23日を「西宮まつり」と名付けてお祭りを行うに至りました。

平安時代治承4年(1180) 中山忠親「山槐記」8月22日の条に海上渡御祭の様子が記されている
鎌倉時代正応2年(1289) 「一遍上人絵伝」に8月22日に神幸が行われていた事が記されている
室町時代応永20年(1413) 白川神祇伯「資忠王記」に「伏見より西宮に下向、今日兵庫御幸なり」の記載がある
安土・桃山時代天正6年(1578) 荒木村重の乱にて社殿焼失
この頃より渡御祭が中絶
江戸時代慶長14年(1609) 社殿再建。豊臣秀頼公の寄進により表大門が建つ
 〃 寛永11年(1634) 幕府に神幸(産宮参り)復活を願い出た覚書が残っている
 〃 承応2年(1653) 社殿焼失
 〃 寛文3年(1663) 四代将軍家綱の寄進により社殿再建
(以後約280年、この本殿が続き、大正15年には国宝に指定された)
近 代昭和20年(1945) 大東亜戦争末期、空襲により国宝の本殿他社殿等焼失
 〃 昭和29年(1954) 社殿復興は成らずも、渡御祭を再興(陸渡御)
 〃 昭和36年(1961) 三連春日造りの本殿はじめ社殿復興
 〃 平成7年(1995) 阪神大震災により、社殿等甚大な被害を受ける
 〃 平成12年(2000) 震災復興を期し「西宮まつり協議会」を設立。400年ぶりに海上渡御祭を再興する
 〃 平成21年(2009) 海上渡御祭再興10周年を記念し、神戸・和田岬への神幸を行う
 〃 令和5年(2023) 海上渡御再興20周年を記念し、神戸・和田岬への神幸を行う