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正月・十日えびす特設ページ 境内案内

 

西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社です。

札場筋脇、御輿屋(おこしや)跡地から旧西国街道を西に約二百米、正面に西宮神社表大門(おもてだいもん)が現れます。
通称赤門(あかもん)と云われる表大門は、桃山建築の遺構をのこし、その左右に連なる大練塀(おおねりべい)と共に、重要文化財に指定されています。

天文三年(一五三四)の兵火により尽く焼失した境内建物も一部修復されていたようですが、慶長九年(一六〇四) から同十四年にかけて豊臣秀頼公の奉献によりこの表大門始め本殿拝殿等全て元に復したと言われています。

大練塀が最初に建てられた年代についての文献は残っていませんが、昭和二十五年の大修理の際、築土の中から宗銭三枚、元銭一枚が発見され、これによって室町時代に建造されたものと推定されます。全長二四七メートルの土塀で、その堅牢な構造から国の重要文化財に指定され、名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀と称されています。

表大門の外、東南の角には寛政十一年(一七九九)の年号の入った常夜燈型の珍しい道標があります。西国街道・山陽道の要衝であった証として「西宮大神宮 左 京都大坂 道」「右 兵庫はり満 道」とあります(西宮市文化財)。

赤門を入ると眼前に松林が広がります。現在の境内が中世は浜辺近く、廣田神社の浜南宮であった事を偲ばせる姿です。正月十日えびすの開門神事に一番福を目指し男たちが走る参道、ここを少し奥に進むと、左手に南門が見え、その先に国道四十三号線が高架橋と共に見えます。南門の手前は境内末社・沖恵美酒(おきえびす)神社です。参道は右に折れるが、左には今でも廣田(ひろた)神社の管轄の南宮(なんぐう)神社が、廣田さんを向いて鎮座しています。

〆柱をくぐり進むと鳥居の向うに新しい祈祷殿、そして社務所も見えてきますが、その左手前植え込みの中には銅版屋根のこじんまりした「六英堂(ろくえいどう)」が見えている。これは、東京丸の内にあった明治の元勲・岩倉具視公の私邸の離れと言われており、昭和五十一年から縁あってこちらに移築されたものであります。明治十六年、岩倉公が病臥中、明治天皇の行幸のあった部屋と伝えられています。

手水舎(てみずや)で口を漱ぎ振り向くと、三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造の本殿の屋根が望まれます。江戸時代寛文三年(一六六三)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、昭和二十年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和三十六年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、ほぼ元通りに復興され、今は銅屋根も古色を帯び、えびすの杜を背景に佇んでいます。

平成二十三年は、昭和三十六年の戦災復興から五十年の年にあたりますので、五十年毎の式年造替という嘉例に従いこれを記念し祈祷殿の新築、神池の改修を行い、本殿、拝殿の改修を行いました。。

本殿、拝殿の手前、社務所、授与所は阪神大震災後再建された建物ですが、中には「えびす信仰資料展示室」があり、全国から集まったえびす様の像や御神影、土鈴などがどなたでもご覧いただけるようになっています。授与所では御札・御神影・御守り・福銭・絵馬・御神像や、おみくじなどが授与されています。

社務所の向え側、池の端に「御戎之鐘」が保存されています。豊臣秀頼公の発願による御社殿再興の翌年、即ち慶長十五年三月付の銘が有る事から、秀頼公の奉納になるものと思われます。天和四年(一六八四)の「西宮社旧記」には「志ゆろうたう(鐘楼堂)」の記載があり、実際に使われていた事を窺わせます。銘文は左の通りです。

銘文は下記の通りです。

奉 建立攝州武庫郡 西宮
御戎之鐘 一口
諸行無常 是生滅法
生滅々己 寂滅為楽
大檀那武運長久息災延命之処也
洛陽三條 鋳物師
藤原徳左衛門 国宝作
慶長庚戌十五年三月八日
施主 敬白

さて、御戎之鐘を後にして進むと、むしろ当社の象徴のような赤い柱の拝殿に着きます。拝殿下左右には、天保十二年、八馬(はちうま)七兵衛等の奉納になる青銅製狛犬と、白鷹酒造の辰馬悦叟氏志願奉納の青銅製の馬が夫々一対参拝者を迎えています。この馬の製作は皇居前広場の大楠公像の馬の作者である後藤貞行です。 明治三十二年四月から神社境内に作業所特設の鋳造場も設けて十一月に完成させています。狛犬と共に戦時供出も免れ、今日に至っています。

ここで名前の出た馬氏。辰馬氏、葛馬氏、八馬氏、乙馬氏、六馬氏、小上馬氏など十五家が存在していたといわれます。この諸家は西宮神社の神幸の騎馬の供奉などの役に当たる家柄とも、西宮の宿場の役に関する家とも言われています。

さて、拝殿に上ると、先ほど三連のお屋根が見えた様に今度は真正面に三殿が拝めます。向かって右からが第一殿で、蛭児大神を祀り、中央が第二殿、天照大御神及び明治初年に大国主大神を配祀、左が第三殿で須佐之男大神を奉斎しています。天照大御神、蛭児大神、須佐之男大神の三神は日本書紀本文によれば御兄弟の神と言われています。大国主大神は式内社・大国主西神社が西宮であるとの謂れから、明治になって配祀されるようになったと考えられます。

参拝を終え石段を降り右手奥に進むと、小さなお社が幾つも見えてきます。境内社又は末社といわれる神社です。西宮神社には十一の境内末社と一つの境外末社があり、夫々の時代に夫々の信仰が入ってきた場所である事がわかります。火産霊神社から松尾神社まで順に参り終えると自ずと神池に至ります。側には茶店も見えます。神池は南北朝から室町期の頃に造られ、大きな島が三つある三島一連のかたちで、蓬莱山水の様式といわれています。島と拝殿正面を結ぶ線に「瑞寶橋」があります。明治四十年、青銅製神馬奉納者辰馬悦叟氏がこれも奉納されましたが、どこか意に沿わない所があったようで、二代目辰馬悦蔵氏が遺志をついで改修、大正十一年石橋青銅欄干の反橋が完成しました。池全体の大きさは南北約五十メートル東西約三十メートル面積約一五五〇メートル(四七〇坪)。平成二十二年には、寛保三年(一七四三)及び平成七年の阪神大震災の折の以来の大改修が行われました。地元の人々にとっては、幼い時から亀や鯉と遊んだり、エビをすくったりと何かにつけ思い出深いお池も装い新たになり、再び憩いの場となっています。
尚、神社全体の面積は、四万二千平方メートル余(約一万三千坪)です。また本殿後方一帯の境内えびすの森は、兵庫県指定の天然記念物となっています